2004年10月31日

特急あさま24号 (189系 87年7月)

 鉄道サウンド広場(本館)で公開中の、特急あさま24号について。

「信濃の国」「ふるさと」「ちょっとだけストレンジャー」「雪山賛歌」メロディー導入前のもので、オリジナル「鉄道唱歌」が流れている。

 特急「あさま」は、長野、高崎、上野、直江津車掌区が担当しており、一時期大宮車掌区が1本持っていた時代もある。末期には、横浜−長野間に、「マリンシティーあさま」も設定されていたが、新宿以北は上野車掌区の担当だった。以南はどこだったのだろう?東神奈川車掌区か?今でこそ、新宿湘南ラインが頻繁に運行されているが、当時は都心縦断列車は珍しかった。

 24号は、廃止直前には高崎車掌区の担当になっていた。高崎持ちの「あさま」は最後部運転台のマイクで放送することが多かったが、運転台には電子メロディーは設置されておらず、オリジナルの「鉄道唱歌」オルゴールが使用された。24号では電子メロディーが主流だった90年代でもオリジナル「鉄道唱歌」を聞くことができる列車であった。私の90年代「あさま」コレクションのオリジナル「鉄道唱歌」オルゴールの大半が高崎車掌区担当の2.9.15.19.22.24.26.35号である。36号も高崎車掌区担当だったが、489系白山編成だった為、白山バージョンの「信濃の国」や「鉄道唱歌」が流れていた。

 
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2004年10月29日

特急あずさ46号 (183系 87年7月)

 鉄道サウンド広場(本館)で公開中の、特急あずさ46号について。

 現在、新型車両E257系やE351系で運転されている特急「あずさ」。車内放送は自動放送が主体で、到着時刻や接続列車などの補足案内を車掌が肉声で行っている。車内チャイムはJR東日本の基本となりつつある4打音が使用されている。

 特急「あずさ」・「かいじ」は松本、新宿、甲府の各運輸区の車掌が主に乗務するが、八王子車掌区、立川車掌区、三鷹車掌区も僅かながら乗務している。特改や臨時列車などの応援でも乗務が見られる。

 89年頃だったであろうか?JR東日本のキャンペーンソングに加山雄三の「ちょっとだけストレンジャー」が使用され、長野支社の特急車両183、189系「あさま」「あずさ」「かいじ」のグリーン車乗務員室の放送チャイムにそれらの電子オルゴールが導入された。新宿発着時は、「ちょっとだけストレンジャー」甲府発着時は、「武田節」、松本発着時は「信濃の国」、シュプール号用として、「雪山賛歌」が用意された。「あさま」用の車両には、「武田節」の代わりに「ふるさと」が搭載され、長野などで使用された。長野新幹線開業後は、この元「あさま」編成が「あずさ」「かいじ」用に一部転用された為、「かいじ」の一部列車では「ふるさと」が流れることもあった。鉄道サウンド広場(アーカイブス)に動態保存している。

 ちなみに、東京、千葉、南小谷などの発着時や三鷹車掌区担当の「かいじ」号は最後部運転台から放送することが多かった為、電子メロディーではなく、国鉄時代からのオリジナル「鉄道唱歌」のオルゴールが流れていた。
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2004年10月27日

急行アルプス2号 (183系 87年7月)

 鉄道サウンド広場(本館)に公開中の、急行「アルプス2号」について。

 87年7月のもので、昼行は全て特急に格上げとなっており、夜行1往復のみが残っていた。車両は「あずさ」と共通運用で183系での運転だった。正面幕には「アルプス」の文字も入っていた。長野行急行「妙高」も同様に189系特急車両で運転されていた。

 最近では、快速「ムーンライト信州」として多客時に下り列車中心で運転されている。その少し前には快速「しらかば新宿」という愛称も誕生したのだが長続きしなかった。

 165系急行「アルプス3号、こまがね3号」の車内放送が「鉄道サウンド広場(アーカイブス)に動態保存されている。興味のある方は、どうぞ!
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2004年10月26日

特急しなの3号 (381系 87年7月)

 鉄道サウンド広場(本館)で公開中の、特急「しなの3号」について。

 87年7月のもので、国鉄末期からJR初期にかけては、サービス向上の一環もあってか車内放送に力が入っていた。新しい車内放送メロディーが登場したり、車窓案内放送、イベントの案内、トクトクきっぷのPR、そして、乗務員の自己紹介など様々な変化が見られた。

 中津川を発車した列車は、やがて岐阜県から長野県へ入る。木曽川が寄り添い、いよいよベテラン車掌長のマイクパフォーマンスの開始である。木曽路、木曽川、中乗りさん、寝覚の床、御岳山、奈良井宿、鳥居峠、姨捨、田毎の月など、ポイントとなる地点で解説が流れた。

 また、「しなの20号」長野発車後のアナウンスでは、「振り子式特急」の為、左右によく揺れるなどの注意事項が流れる。現在では、新型電車特急となり、名古屋や中津川(JR東海)の車掌さんは塩尻でJR東日本の車掌と交代するようになってしまった。色々な面で、様変わりしてしまった「しなの」号である。

 この頃はまだ、JR東日本長野車掌区が2往復。JR西日本明石車掌区が1往復の「しなの」に乗務していたのである。

 長野車掌区の「しなの」はまた機会があれば公開するが、明石車掌区の「しなの」の車内放送は、鉄道サウンド広場(アーカイブス)の「しなの12号」で聴く事が出来る。
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2004年10月25日

急行 赤倉 (165系 84年4月)

 鉄道サウンド広場(本館)で公開中の、急行「赤倉」について。

 1962(昭和37)年12月に、名古屋−新潟間に中央西線、篠ノ井線、信越本線経由で運転を開始した急行「赤倉」。全線電化後も長らくキハ58系気動車急行として運転されてきたが、1982(昭和57)年11月改正でようやく165系電車化された。183系による房総急行の特急格上げで捻出された165系に耐寒・耐雪工事を施し、新潟にトレードされた。

 ところが、「赤倉」は、85年3月改正で、名古屋−松本間を廃止、松本−新潟間(松本−長野間普通列車)の急行「南越後」と愛称が変更された。編成もグリーン車が外され、6両のローカル急行になってしまった。

 しかし、88年3月改正では、急行「とがくし」「南越後」の愛称が、急行「赤倉」に統合され、復活した。3往復から2往復になったものの長野新幹線開業直前の97年11月まで活躍し、特急「みのり」に格上げとなり廃止された。

 昭和56年10月の乗車ルポ(鉄道ジャーナル別冊NO.9 ドキュメント列車追跡)の中で、次のようにまとめられている。

(1)編成はキハ58系10両+増結2両の計12両編成(新ニイ)
(2)名古屋−新潟直通客は、平均すると十数名(車掌談)
(3)(寝覚ノ床、善光寺平など)各地で沿線車内放送が頻繁に流れていた
(4)車窓三大展望を、「姨捨、阿蘇、狩勝」と紹介しているが、「姨捨、霧島、
  狩勝」説もある。
(5)塩尻短絡線が完成間近で、まだスイッチバックであった

 名古屋発新潟行の165系「赤倉」号車内放送は、鉄道サウンド広場(アーカイブス)でも動態保存中ですので、併せてお楽しみ下さい。
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2004年10月24日

急行佐渡6号 (165系 84年4月)

 鉄道サウンド広場(本館)に公開中の、165系急行「佐渡6号」について。

 84年4月当時、上越新幹線は大宮までの暫定開業で、急行「佐渡」「よねやま」は廃止を免れた。新潟−名古屋間の急行「赤倉」と共通運用で、新潟運転所の165系10連でグリーン車も連結した立派な編成であった。したがって、「鉄道唱歌」オルゴールを聞くことが出来た。

 急行「佐渡」には座席夜行列車もあったが、新幹線開業で廃止された。しかし、88年3月に定期快速「ムーンライト」として165系3連で復活し、現在では485系6連の快速「ムーンライトえちご」へと成長した。

 昔、フランキー堺さん主演の映画で「喜劇●●列車(旅行)」(シリーズが多かったので失念してしまった)、急行「越路」に乗務する車掌のコメディーを描いた作品があった。丁度、スキーシーズンの上越線夜行列車であった。上野発車直後であろう車内放送で、「ブラームスの子守唄」が流れていたのにはびっくりした。

 テレビ番組で車内シーンが映し出される際、注意して聞いているとバックに車内放送が流れていることがある。TBS系列で放送された2時間サスペンス「寝台特急さくら殺人事件」(西村京太郎原作)では、身代金引渡しシーンで東海道新幹線車内放送で呼び出しがあるのだか、その時に流れたチャイムは何と「鉄道唱歌」だった。監督さんの趣味なのか、単にその時代の方だったからなのか?
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2004年10月23日

特急北近畿1号 (183系 04年10月)

 鉄道サウンド広場(本館)で公開中の特急「北近畿1号」について。

 先日の台風23号の影響により、北近畿地方では河川の氾濫や土砂災害など多くの被害が発生している。22日も、福知山−浜坂間などで運転が見合わされるなど復旧に時間を要している。その為、特急「北近畿」は新大阪−福知山間での運転となり、京都口の特急は全て運転休止となっている。

 公開中のサウンドは、22日の福知山止として運転時の車内放送である。チャイムは、新型チャイムで「ラバーズコンチェルト」が流れている。

 「北近畿」号は86年11月国鉄最後のダイヤ改正時に誕生した列車であり、国鉄改革の最中ということで新型車両の投入は見送られ、全国各地で活躍していた485系が寄せ集められ、編成を構築した。

 22日の4号車クハ183−801は、運転台正面が簡易貫通タイプの変わった顔をしたユニークな車両である。先頭車が不足していた当時、改造により誕生した。サハ481−17という中間付随車に運転台を取り付けた格好である。昭和50年金沢に配置され、後に向日町に転属され、大宮工場でクハ480−6として生まれ変わり、現在はクハ183−801となっている。
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2004年10月22日

特急エーデル北近畿7号(65系 99年5月)

 鉄道サウンド広場(本館)に本日公開した、特急エーデル北近畿7号について。

 90年3月のダイヤ改正で、新大阪−浜坂間に登場した特急「エーデル北近畿」。山陰本線の電化が城崎までの為、多くの特急は城崎止となってしまった。その為、観光客の入り込みの多い香住、浜坂への直通特急需要に応えた形で気動車で登場した。先輩の「エーデル鳥取」と「はまかぜ」3往復と合わせ、計5往復の京阪神直通特急が揃った。しかし、乗客の減少(智頭急行へのシフト)や福知山支社のビッグXネットワークの構築により「エーデル鳥取」「エーデル北近畿」は姿を消した。現在、浜坂、香住からの京阪神直通特急は「はまかぜ」3往復のみである。

 その後、車両は夜行急行「だいせん」に転用され、今日に至るが、10月16日のダイヤ改正でその役割も終えた。今後は、カニカニ輸送の応援などで活躍が期待される。
 今年の夏には「エーデル鳥取」車が「あまるべロマン」として料金不要の快速列車で豊岡−浜坂間に運転されていた。

 このエーデル北近畿の車両の秘密をご存知であろうか?実は、展望車のキハ65−801の種車はキハ65−1(トップナンバー)なのである。急行型車両が全国各地から姿を消している中で、今なお現役で頑張っているのである。

 エーデル北近畿の車内放送マイクは改造前と同じため、気動車標準タイプの「アルプスの牧場」のオルゴールが付いている。しかし、「エーデル丹後」「エーデル鳥取」などのマイクは改造時に交換された為、放送用チャイムは付いていない。
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2004年10月21日

特急きのさき12号 (183系 98年1月)

 鉄道サウンド広場(本館)に公開中の特急「きのさき12号」について。

 96年3月のダイヤ改正で、それまでの気動車特急「あさしお」、気動車急行「丹後」に代わって登場した電車特急。車両は「雷鳥」などで使用されていた金沢や向日町の485系を改造して転用された。福フチに配属されたが、特急「北近畿」号の塗装とは異なり、JR西日本標準色ともいえるグレーをベースにしたものになった。「北近畿」と異なり、1号車は全室グリーン車となった。

 現在では、運用の効率化により、「北近畿」でもJR西日本色の編成が使用されたり、「きのさき」でも準国鉄色編成を使用する列車が存在する為、この塗り分けは意味がない。「はしだて」はグレーという先入観を持っていると、福知山駅で同じホームから発車する「北近畿」と乗り間違えるかも知れない。

 「北近畿」では、91年頃から車内放送チャイムがご当地民謡チャイム「デンカンショ節」「宮津節」「福知山音頭」に交換され、一時的に「鉄道唱歌」が消滅した。しかし、「きのさき」などの転入組は「鉄道唱歌」のままで、再び北近畿エリアで「鉄道唱歌」が復活した。

 2001年頃になると、民謡チャイムも老朽化により、廃車から転用の「鉄道唱歌」に再び交換され、逆に民謡チャイムは減少していった。その「鉄道唱歌」も最近では減少し、電子チャイムが急激に普及してきた。「ラバースコンチェルト」(原曲はバッハ?)や「鳥の鳴き声」などの新しい車内チャイムが登場している。

 興味のある方は、鉄道サウンド広場(アーカイブス)でお楽しみ下さい。
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2004年10月20日

急行だいせん2号 (58系 83年12月)

 鉄道サウンド広場(本館)http://homepage3.nifty.com/railway-sound/index.htmで公開中の58系気動車急行「だいせん2号」について。

 10月16日のダイヤ改正で姿を消した気動車急行「だいせん」。かつては、新大阪−益田間の昼行気動車としても運転されていたが、福知山線電化の86年11月ダイヤ改正により、夜行客車急行1往復を残して廃止された。その夜行も、新幹線や智頭急行などの整備で年々乗客がシフトしていった。末期は気動車2両での運転だったが、豊岡−鳥取間などでは乗客10名前後という日も珍しくなかった。

 83年12月当時は、昼間に新大阪−益田間・大阪−鳥取間各1往復、大阪−出雲市間に夜行1往復が運転されていた。2号、3号はかつて「いでゆ」という愛称を持っており、鳥取−福知山間を京都行「白兎」と併結運転されていた。私の幼少時代のことであるが記憶にある。「だいせん」は鳥取県西部にそびえる名峰であるが、鳥取止まりの列車に「だいせん」はおかしいという突っ込みはなかったのだろうか?同様に、新宿−甲府間にも特急「あずさ」(上高地の梓川より命名)が存在したことがある。しかし、後に「かいじ」と改められた。

 気動車チャイムは、電話の受話器タイプの放送用マイクにゼンマイが内臓されており、一回転させて「放」というボタンを押すとオルゴールが流れた。しかし、ゼンマイの巻き方が途中までだったり、完全に回転させてもゼンマイの劣化でフルコーラス完全な形で流れることはほとんどない。興味のある方は、「鉄道サウンド広場(アーカイブス)」http://www50.tok2.com/home2/railwaysound/index.htmで保存中の気動車での車内放送をご確認下さい。

 気動車標準チャイムは「アルプスの牧場」という曲をアレンジしたものです。車内メロディー、オルゴールについては今後少しずつご紹介していきます。
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2004年10月19日

急行 東海4号(165系 87年2月)

 「鉄道サウンド広場」http://homepage3.nifty.com/railway-sound/index.htmで公開中の「急行東海4号」について。

 国鉄末期の87年2月に乗車した時の車内放送です。九州旅行を終えて、「あかつき」「たかやま」を乗り継ぎ、豊橋からキハ20系の国鉄二俣線(現 天竜浜名湖鉄道)経由で静岡から「東海4号」で東京へ戻りました。

 86年4月に乗った際は浜松始発で、浜松−静岡間は普通列車でした。車掌も浜松車掌区が東京まで乗務していましたが、87年には静岡始発で静岡車掌区の担当でした。
東京到着後は、大垣行の普通列車として共通運用を組んでおり、静岡発19時半頃の東京行普通列車も165系で、翌日の「東海1号」として運用されていました。当時東京在住だった私は、「青春18きっぷ」の時は、この165系の乗りドク普通列車に、急行利用OKだった「周遊券」の時は「東海4号」で上京することが多かった。

 電車急行の車内放送用チャイムは、特急と同じ「鉄道唱歌」で、グリーン車の車掌室にしか設置されていなかった。したがって、グリーン車から放送する時しかオルゴールは流れなかった。急行「なすの」「信州」「あかぎ」など最後部運転台から放送する場合は流れなかった。「東海」「佐渡」「よねやま」「赤倉」「アルプス」などは最後までオルゴールが使用されていた。仙台や高崎のグリーン車車掌室では、オルゴールが撤去されているものもあり、末期には流れない列車も多かった。

 87年2月の「東海4号」は若干オルゴールの音程がおかしくなっていますが、「東海」の末期はもっと音程はひどかったです。「鉄道サウンド広場(アーカイブス)」http://www50.tok2.com/home2/railwaysound/index.htmにも急行「東海」や大垣夜行の165系の「鉄道唱歌」オルゴールが多数動態保存されていますのでお楽しみ下さい。
posted by 城崎かすみ at 01:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 急行列車 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年10月18日

特急あかつき(佐世保−新大阪 87年2月)

初めてブログを作成しました。

「鉄道サウンド広場(本館)」http://homepage3.nifty.com/railway-sound/index.htmに本日公開した寝台特急「あかつき」について。

 現在交通機関の競争激化で、凋落傾向にある寝台特急ですが、「あかつき」もその例外ではありません。国鉄末期の87年2月には、新大阪−長崎・佐世保行として運行されていましたが、現在では佐世保行が廃止され、寝台特急「彗星」と併結してのリストラ運行となりました。
 当時、格安の夜行バスの出現で佐世保編成には対抗で14系座席車が1両連結されていました。しかし、現在のようなゆったりした座席ではなく、簡易リクライニングという粗末なもので利用状況は芳しくなかったようです。後にデラックスシートに変更され、個室車両なども組み込まれ、京都−長崎間で現在も運行を続けています。

 87年2月国鉄末期には、下関車掌区の車掌が乗務していました。同区は、名門車掌区として長い歴史があり、ブルートレイン中心に優等列車に乗務しています。寝台特急「みずほ」の廃止により、当時「さくら」に乗務していた門司車掌区と下関車掌区が乗務していた「あかつき」を交換することになり現在では、京都−博多間を門司車掌区、博多−長崎間を長崎車掌センターが担当しています。
 その「さくら」も「はやぶさ」と併結運転に伴い「はやぶさ」に長年乗務している博多車掌区に担当を譲りました。代わりに、大分車掌区が担当していた「富士」を譲り受け「あさかぜ」「富士」を下関乗務員センターと広島車掌区が担当しています。

posted by 城崎かすみ at 17:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 特急列車 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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