2004年12月31日

大晦日 (04年12月)

 2004年も、あと1日となりました。今年、鉄道サウンド広場は、おかげさまでオープン1周年を迎えることが出来きました。この間、拙い知識を駆使して色々とチャレンジし、「動画館」や「別館」BLOGも立ち上げることが出来ました。何分、きままに始めたサイトですので、至らぬ点も多かったことと思います。日頃、多くの方々に励ましやご指導をいただきましてありがとうございました。この場をお借りし、御礼申し上げます。

 簡単に、2004年を振り返ると、一番の出来事は3月に九州新幹線「つばめ」が開業したことでしょうか?
 個人的には、長年暮らしてきた大阪から名古屋へ引越した関係で、「雷鳥」「北近畿」「くろしお」などに乗る機会が激減してしまいました。その分、新幹線や近鉄特急などは増えました。それでも、月に3〜4回は「北近畿」に乗っています。

 自然災害も多い年でしたね。相次ぐ台風の上陸、地震など被災地では今なお多くの方々が不自由な生活をされていると聞きます。早い復旧・復興を祈るばかりです。先日のインド洋での津波など、いつ何処で災難に見舞われるか分からないですね。今、想定される東海地震などが発生したら・・・というか恐ろしくて想像したくないのが現実です。マジで考えていたら、新幹線には乗れませんし、日常生活がマヒしてしまいます。

 来年は、ブルートレイン「さくら」「あさかぜ」と、181系特急「いそかぜ」など国鉄特急が姿を消します。国鉄がどんどん遠くなっていきます。「雷鳥」も「サンダーバード」化が迫っていますし、「能登」の489系ボンネット編成の動向も気になります。

 新年が皆様にとってより良き年であるようお祈りいたします。
posted by 城崎かすみ at 02:37| Comment(0) | TrackBack(0) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年12月30日

特急いそかぜ(181系 87年2月)

 鉄道サウンド広場(本館)に公開中の、特急「いそかぜ」について。

 博多−米子間に運転されていた特急「いそかぜ」は、86(昭和61)年11月のダイヤ改正で姿を消した特急「まつかぜ」(博多−新大阪)の米子以西のダイヤを引き継いだ形で誕生した。「まつかぜ」時代は、グリーン車、食堂車も連結した6連で米子以西は運転されていたが、「いそかぜ」は普通車のみの3連であった。
 
 当初、車掌は浜田車掌区が担当していた。「まつかぜ」は京都車掌区が米子以東、以西を米子車掌区が担当しており、本来は米子車掌区の担当になりそうなものであるが、同時に姿を消した「だいせん1,4号」(新大阪−益田)が浜田車掌区の担当であった為に譲り受けた。他に急行「さんべ」も担当していた。

 93年3月改正では、「にちりん」の増発などで博多−小倉間から追い出された形となり、小倉−米子間に短縮された。やがて、浜田車掌区が鉄道部へ再編され、「いそかぜ」は米子車掌区の担当となった。浜田鉄道部は、特改乗務となるがそれも永く続かなかった。

 01年7月のダイヤ改正では、島根県内高速化工事完成で新型特急車両187系が登場する。島根県内を走行する「おき」「くにびき」には新型車両が優先的に充当されたが、車両数の関係で小倉回転の「いそかぜ」に充当する余裕がなかった。益田で系統分離され、「いそかぜ」は181系国鉄型特急のまま小倉−益田間の運転となった。合理化を推進しているJR西日本とすればこの時点で「いそかぜ」の廃止を検討していたが、地元萩市などの沿線自治体からの存続運動により今日まで延命してきた。
 車掌は、下関乗務員センターの担当となった。

 最近では、「きのくにシーサイド」車両を使ったイベント列車も運転されているが、今後JR東日本の「リゾートしらかみ」のような観光列車が登場し、新たな形で日本海の車窓を楽しめる日が来るのを期待する。

 181系特急「リバイバルまつかぜ」の運転もあるのかな?
 
posted by 城崎かすみ at 01:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 特急列車 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年12月29日

急行大山スキー号(12系 87年2月)

 鉄道サウンド広場(本館)に公開中の、急行「大山スキー号」について。

 かつて、冬のレジャーの代表スキーは道路事情の関係などから鉄道が利用されることが多く、臨時列車も多数運転されていた。80年代後半には、スキーヤー御用達の「シュプール号」が大人気となった。しかし、レジャーの多様化や道路事情の改善など利用者は激減してしまい、「シュプール号」自体もJR西日本にわずかに残る程度である。

 九州地区にもスキー場はあるらしいが、やはり本格的な滑りを楽しむには大山が比較的近く、夜行急行さんべ号が利用されていた。しかし、普段は利用者が少なく廃止されてしまった。そこで、冬季のスキーシーズン限定で運転されたのが臨時急行大山スキー号であった。熊本の12系客車を使用していた。後に短期間ではあったが、「シュプール大山スキー」となり、B寝台車を連結したこともあった。

 車掌は、米子車掌区が全区間担当していた。「まつかぜ」廃止後、博多乗り入れを失っていた米子車掌区が久々に博多に姿を現すようになった。西は博多、東は東京までの乗務をしていた。

 急行「だいせん」は大阪−出雲市間の運転であるが、「大山スキー号」となると博多−米子間と全く異なる区間の運転となるのが面白い。
posted by 城崎かすみ at 01:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 急行列車 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年12月28日

特急かにカニはまかぜ(181系 04年12月)

かにかに181 
 JR西日本では、日帰りエクスプレスプランで、日本海の幸を気軽に食べるツアーを募集している。その値頃感や満足度の高さからリピーターは多く、「かにカニはまかぜ」は11月〜2月のシーズン中毎日運転される。しかし、年末・年始は格安というわけにはいかない為に設定がはずされている。

 日帰りプランの為に、大阪出発時間はラッシュ時間にぶつかる。休日はいいのだが、平日となると、130キロ運転の新快速がひしめくダイヤに旧型気動車のスジを割り込ませる苦労がある。

 平日は「かにカニはまかぜ1号」として、大阪7時28分に出発する。土・休日は「かにカニはまかぜ3号」として、大阪8時17分に出発する。終着駅香住に到着するのはいずれも11時40分である。
 「1号」は、三ノ宮の手前東灘信号所で「スーパーはくと1号」に追い越されるなど、単線の播但線や山陰線でも待ち合わせが多くのんびり進む。

 同じ特急でここまで所要時間に差があるのもいかがなものかとは思うが、車内で朝から酒盛りやおしゃべりを楽しむグループには関係ないのかな?
posted by 城崎かすみ at 01:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 特急列車 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年12月27日

特急冬こそ北陸雷鳥(485系 95年2月)

冬こそ北陸雷鳥
 JR西日本では、北近畿方面へ向けて「かにカニエクスプレス」を運転しているが、北陸方面へは「サンダーバード」「雷鳥」が充実しているためか特別な愛称を持った臨時列車の設定はない。

 しかし、かつては冬の味覚を楽しむ旅行者を対象とした臨時列車が運転されていた。その一つが特急「冬こそ北陸雷鳥」であった。485系かがやき編成、スーパー雷鳥編成、489系白山編成や681系サンダーバード編成など多種多様な編成が使用された。「フードピア雷鳥」もあったが、いずれも知らない間に消滅した。

 昨年は、大阪−氷見間直通の展望タイプの先頭車を持つイベント用気動車を使用した急行「氷見ぶりアストル」が運転されたが、利用状況が芳しくなかったのか今シーズンの設定は見られない。

 日本海の海の幸が恋しくなってきた。
posted by 城崎かすみ at 17:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 特急列車 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年12月26日

特急日本海1号(489系 04年12月)

 25日、ブルートレイン日本海1号は489系ボンネット編成で運転された。

 同日、寝台特急日本海4号大阪行が大幅に遅れ、折り返し1号への運用に支障をきたす為に金沢で運転休止。大阪−金沢間を489系ボンネット編成が代走している。天候などで大幅に遅れるとこのような対応が時々見られる。

 24日、北海道のJR江差線茂辺地駅付近で発生した乗用車と特急「白鳥30号」との接触事故の影響と思われるが、「日本海4号」は事故現場を数分前に通過して難を逃れている。

 25日、北海道に到着するブルートレインも7時間余り遅れが出たようである。「トワイライトエクスプレス」も折り返し運用の都合で五稜郭で運転休止。183系気動車が代走している。

 「美しき青きドナウ」のメロディーで始まる「日本海1号」の車内放送や、金沢始発のブルートレイン「日本海1号」の車内放送もいつ実現するか分からないため、事前に計画して録音するわけにはいかない。ハプニングを期待してはいけないが、いつかは録音してみたい気もする。
posted by 城崎かすみ at 01:22| Comment(2) | TrackBack(0) | ニュース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年12月25日

特急さくら(14系 87年2月)

 鉄道サウンド広場(本館)で公開中の、ブルートレイン「さくら」について。

 2005年3月1日のダイヤ改正で姿を消すこととなった特急「さくら」は、現在東京−鳥栖間を熊本行き「はやぶさ」と併結して1本の列車として運転されている。
 
 かつては、東京−長崎・佐世保間で運転されており、肥前山口で分割・併合されていたものの愛称はいずれも「さくら」であった。東京−長崎間には、「さくら」のほかに「みずほ」も運転されていたが、1999年12月ダイヤ改正で姿を消した。その改正で「さくら」の佐世保行きも廃止され「さくら・はやぶさ」併結運転が始まった。

 JR九州ではL特急の大増発で、足の遅い客車列車は単線区間の多い長崎本線では邪魔者扱いされている。本数の少なかった時代は、L特急の補完役として立席特急券での利用者も多かった。しかし、今日その役目もなくなり廃止決定となったのであろう。

 録音当時の87年2月は国鉄民営化直前で、14系寝台車が品川から熊本へ転属となっていた。指定された車両はスハネフ14−1トップナンバー。所属は熊クマであったが、検査は60−7大宮工場となっていた。列車ナンバーも「1」列車だった。

 車掌は、東京車掌区担当で往復4日間の乗務行路であった。東京車掌区は、JR化後しばらくして全てのブルートレインから撤退したが、「さくら」「富士」「銀河」「紀伊」に乗務していた。
posted by 城崎かすみ at 01:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 特急列車 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年12月24日

特急ソニック1号(485系 00年2月) 

 鉄道サウンド広場(本館)で公開中の、特急「ソニック1号」ついて。

 国鉄時代は、車両のバリエーションが今ほど多くはなく、同じ系統の車両が全国各地で活躍していた。電車特急の代表格は485系交流・直流両用特急電車であった。北は旭川から南は鹿児島まで全国各地で活躍してきた。同じ車両が様々な列車に充当されている為に、編成の前後には個性的なイラストなどが入った愛称(ヘッドマーク)を付けて走行し、これが鉄道ファンの人気を誘った。

 しかし、国鉄の分割民営化を機に各社ともに個性的な車両を開発、誕生させている。特にJR九州では、列車ごとに個性的な車両を投入させている。かつて、博多−大分・宮崎・西鹿児島間を日豊本線経由で運転されていた「にちりん」にも、前述の485系特急電車が使用されていた。その内、博多−大分間の列車に限って新型車両883系が投入され、その車両のコンセプトから「ソニック」と命名された。車内はテーマパークのような楽しい雰囲気であった。その後、「白いかもめ」に使用されている885系に若干手を加えた「白いソニック」も登場している。車両そのものが個性的かつ専用の編成である為に、ヘッドマークなどは必要ない。

 2000年2月当時は、この「ソニック」にも1往復だけニセモノが存在していた。その内の1本がこの1号であった。485系での運転であったから、「にちりん101号」とでもすべきだったのかも知れない。当然ヘッドマークが必要になる。「RED EXPRESS」の下に小さく「ソニック」と表記されていた。素人目には判り辛い。

 個性派車両に胸躍らせて乗車した人はがっかりしたことであろう。「残念!ソニックもどき斬り!」

posted by 城崎かすみ at 01:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 特急列車 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年12月23日

さよなら特急いそかぜ(181系 05年3月)

 22日、JR西日本は、来春のダイヤ改正について正式に発表した。

 毎日新聞や読売新聞などにより、ブルートレイン「さくら」「あさかぜ」の廃止は伝えられていたが、もう一つ国鉄特急が姿を消す。その名は特急「いそかぜ」である。3連という短い編成であるが、181系国鉄色と日本海との組み合わせは古きよき時代の汽車旅を思い出させてくれる。

 国鉄最後のダイヤ改正、昭和61年10月31日までは特急「まつかぜ」として山陰本線を経由して博多−新大阪間を運転していた。その後3連となり、米子−博多間、米子−小倉間、益田−小倉間へと運転区間が次第に短縮され、ローカル特急となってしまった。

 「いそかぜ」の廃止により、181系気動車を使用する定期特急は「はまかぜ」のみとなる。京都総合運転所に転属となった国鉄色181系(元後藤車)も最近JR西日本色に塗装変更されつつある。気動車は電車のように固定編成ではなく、フレキシブルに組み替えられる為に、カラーリングは統一しておいた方が一般的にはいいのである。鉄道ファンには国鉄色の方がウケがいいのであるが・・・。
posted by 城崎かすみ at 02:36| Comment(0) | TrackBack(0) | ニュース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年12月22日

神戸の旅2(ルミナリエ編)

六甲ケーブル下
 18時を過ぎると、サラリーマンやOLの帰宅ラッシュを迎える。JR元町駅前は中華街に食事にやってきた人、ルミナリエ会場へ向う人やショッピングを楽しむ人たちででごった返す。我々も、小腹が空いたので南京町商店街へ向う。大勢の歩行者に占拠された道路の両側には中華料理店が軒を連ねる。各店店頭では特設の屋台が設けられ、呼び込みに懸命である。肉まん、から揚げ、中華そば、中華バーガーなどどれも美味しそうである。お店に入れば本格中華を味わう事もできるが、屋台で少量色々試してみるのが楽しい。高知の朝市を思い出す。
ルミナリエ
 お腹も膨れ、いよいよメインイベントのルミナリエ会場へ向う。元町の大丸前から行列は始まる。道の両側には柵が設けられ、割り込みは出来ない。必ず経路に従って会場へ向わねばならない。大きく迂回し、大丸裏手から会場への路地に入る。30〜40分位は歩いたであろうか?いい加減にしてくれ!と思う頃に突如、光のトンネルの入口が姿を見せる。初めての人には感動モノであろう。この一瞬の為に長いアプローチは有効である。フラワーロードから簡単に会場に入ってしまえばこのような感動も味わえないであろう。必ず順路に従ってアプローチすることをお勧めする。

 トンネルを抜けると、東遊園地のメイン会場である。周囲にはルミナリエ宝くじやグッズ売場、各種屋台が営業している。冷やかしのつもりだったが、ついつい買ってしまう。私はイチゴ飴、パートナーはぶどう飴を試す。デザートだけならまだしも、神戸牛ステーキの看板に惹かれ、たれと塩をそれぞれオーダーしてしまう。食べた方なら分かると思うが・・・。

 21時00分、JR三ノ宮駅。楽しかったデート終了の時刻である。六甲山上で聴いた山下達郎の「クリスマスイブ」のメロディーがかすかに脳裏に流れる。シンデレレラエクスプレスで名古屋に戻れば、魔法が解け現実の世界に戻る。近いようで遠い、遠いようで近い名古屋・・・。♪「きっと君は・・・一人きりのクリスマスイブ・・・」今度はいつ会える?次はどこへ行こうか?

鉄道サウンド広場(別館) に投票する
posted by 城崎かすみ at 01:08| Comment(0) | TrackBack(0) | 旅日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年12月21日

神戸の旅(六甲山編)

六甲ケーブル 
 12月20日、11時過ぎ。JR六甲道駅から市バスに乗車し、六甲ケーブル下へ向う。途中、神戸大学のキャンパスなどで学生達を下ろして行く。ケーブル下とはいうものの、かなり坂を上ってきている。山小屋風の洒落た駅舎に入ると、正面にはレトロ調のケーブルが待っていた。往復の乗車券と山上循環バスのフリー乗車券がセットになった「表六甲周遊乗車券」(1300円)を購入する。これはお得なチケットである。我々2名の他には数名と平日の為か乗客は少なかった。

 2連のケーブルカーの麓寄りの車両はオープンカー。山頂寄りの車両は密閉タイプで暖房が入っている。寒かったので、山頂側に乗車。急斜面を約10分間登ってゆく。山上駅東側には展望台があり、市街地や瀬戸内海が一望できる。

 山上バスに乗り換えて、オルゴールミュージアム「HALL of HALLS」へ向う。毎時0分からオルゴールコンサートが開かれる。季節柄、クリスマス関連の曲が選択される。大迫力の自動演奏には感動した。コンピュータのない時代によくぞここまでの仕掛けを考えたものだと感心させられる。館内のカフェでは、時折流れるオルゴールの甘い響きに耳を傾けながらロマンチィックなひと時を過ごす。少し早いが、クリスマスの雰囲気を満喫できた。館内の工房には、自分の好きなメロディーを指定、編曲し、オリジナルオルゴールをオーダーメイドしてくれるサービスもある。
オルゴール館
 14時45分の山上バスで、更に山頂を目指す。途中六甲山人工スキー場などを経由する。ごく一部滑行可だったようである。六甲ガーデンテラスで下車。洒落たショップやカフェがオープンしている。ここでも、展望を楽しみながら一服。しかし、次第に雲行きが怪しくなり、夕暮れに合わせるように雨が降ってきた。こうなっては潔く撤退である。1000万ドルの夜景はお預けである。17時にはすっかり暗くなったが、雲間から若干ではあるが街の灯りが見える。もう一回来なさいとのメッセージと受け取ることにする。予定より少し早いが、ルミナリエ会場へ向った。
posted by 城崎かすみ at 02:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 旅日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年12月20日

祝!加古川線電化開業(04年12月)

 12月19日、JR西日本加古川線(加古川−谷川間)が電化開業した。

 関西圏では、非電化区間も少なくなり、ディーゼルカーの走行音も懐かしい思い出となりつつある。12日には、「さよならイベント」としてキハ47系4連が特製ヘッドマークを付けて特別列車も運転されている。乗車記念証も配布されているが、3000枚用意されているのでそれほどのプレミアムは付かないだろう。加古川線からは、三木鉄道、北条鉄道が接続している。また、鍛冶屋線は廃止されているが、同線の廃止末期にお別れ乗車している。当時はキハ20型気動車だった。昭和53年頃までは加古川車掌区の担当であったが、鍛冶屋線廃止の頃には明石車掌区が乗務していた。

 福知山線で一番高い駅「古市駅」を通過し、篠山口、丹波大山を過ぎると渓谷にさしかかる。流れも進行方向に変わっているので当然日本海に注いでいるものと思っていた。しかし、分水嶺は石生駅付近にある。日本一低い分水嶺で標高約200メートル程度である。海面が200メートル強高くなれば、加古川線沿線〜谷川〜福知山〜宮福線〜丹後由良にかけて海峡が出来る。先ほどの川は、谷川から加古川線に沿って瀬戸内海へ流れている。

posted by 城崎かすみ at 00:44| Comment(0) | TrackBack(0) | ニュース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年12月19日

特急味めぐり北近畿3号(181系 98年1月)

 鉄道サウンド広場(本館)で公開中の、特急味めぐり北近畿3号について。

 冬の味覚「松葉ガニ」を求めて日本海を目指す食通達の足として、この時期多くの臨時列車が運転されている。現在では、「かにカニエクスプレス」シリーズとなっているが、当時は、「味めぐり」シリーズであった。

味めぐり北近畿3号

 福知山線を走る国鉄色181系気動車は、モノクラスながら7連の堂々たる編成で、特急「まつかぜ」を彷彿させる走りであった。2往復設定されている「味めぐり北近畿」であるが、車両不足の為、米子の181系が借り出され非電化区間の香住まで乗り入れることが出来た。最近では日根野の381系が使用されることが多く、城崎止となっていたが、今シーズンはエーデル鳥取車が使用可能となった為、再び香住まで乗り入れている。ただし、車内放送用オルゴールは流れない。

 週末中心に、多くの臨時列車が運転されるため、福知山支社管内では定期列車の時刻変更が各所で発生している。しかし、時刻表に掲載されていないものもあるので注意が必要である。単線であるため、当日のように大雪で対向列車の遅れなどが発生すると遅れがどんどん拡大していく。写真は大雪の香住駅に到着の「味めぐり北近畿3号」である。
posted by 城崎かすみ at 03:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 特急列車 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年12月18日

甲子園応援列車 (14系 84年3月)

 1984(昭和59)年当時の編成記録を見ていて、懐かしいものが見つかったので紹介しよう。どこの駅で控えたのか定かでないが、多分秋田だと思う。

昭和59年3月27日 団体専用(甲子園臨) ED75−717秋田
スハフ14− 1 57-03土崎 秋アキ
オハ 14−15 57-06土崎 秋アキ
オハ 14−17 57-03土崎 秋アキ
オハフ15− 3 56-10土崎 秋アキ
オハ 14−14 56-11土崎 秋アキ
オハ 14−13 56-11土崎 秋アキ
オハ 14−10 57-10土崎 秋アキ
オハ 14−16 57-09土崎 秋アキ
スハフ14− 2 56-10土崎 秋アキ

 スハフ14のトップナンバーは、当時秋田の所属であった。なお、現在でもJR東海美濃太田車両区に所属し現役で活躍している。先月運転された「御殿場線70周年記念号」などでも登場している。86年4月時点では、スハフ14−1、2など上記の編成は沼津客貨車区(静ヌマ)に転属となっている。

 現在、オリジナルの14系一般座席車も少なくなっている。定期列車では、急行「はまなす」。臨時列車では、「ムーンライト八重垣」「ムーンライト松山・高知」などで乗車できる。簡易リクライニングシートで、背もたれは傾くもののストッパーが働かず、体を起こすとバタンと元に戻る厄介モノであった。傾く角度が中途半端で、シートピッチも狭いので夜行にはキツイ。高速バスの方が居住性には優れている。
posted by 城崎かすみ at 02:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 快速・普通列車 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年12月17日

急行十和田(12系 84年3月)

 鉄道サウンド広場(本館)で公開中の、急行「十和田」について。

 東北新幹線開業後も上野−青森間には多くの夜行列車が運転されていた。特急「はくつる」「ゆうづる」「あけぼの」の他、急行「八甲田」「十和田」「津軽」などである。青函トンネルは工事中で、青函連絡船接続で北海道を目指す乗客も多かった。青函トンネル開業で「ゆうづる」は「北斗星」として北海道直通運転となり、急行も夜行高速バスの台頭などで次第に本数を減らし現在は存在しない。「はくつる」も東北新幹線八戸開業で廃止され、現在では寝台特急「あけぼの」が羽越・奥羽線経由で残るのみである。

 1984(昭和59)年3月29日の急行十和田号の編成は以下の通りである。

昭和59年3月29日 第201列車 急行十和田 ED75−119長町
スハフ12−130 58-03 大宮 北オク
オハ 12−374 59-12 大宮 北オク
オハ 12−369 59-12 大宮 北オク
オハ 12−161 57-05 大宮 北オク
オハ 12− 30 56-06 大宮 北オク
オハ 12−366 56-08 大宮 北オク
スハフ12−131 56-07 大宮 北オク
オハ 12−367 56-07 大宮 北オク
オハ 12−364 58-07 大宮 北オク
オハ 12−334 57-06 大宮 北オク
オハ 12−194 57-03 大宮 北オク
オハフ13− 53 57-06 大宮 北オク

 急行「十和田」は、東北線・常磐線経由で運転されていた。録音した翌年の85年3月ダイヤ改正では、電車寝台「ゆうづる」2往復とともに廃止された。「鉄道サウンド広場(アーカイブス)」には、最終日の急行「十和田」号上野駅発車シーンが保存されている。
posted by 城崎かすみ at 00:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 急行列車 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年12月16日

山陽新幹線博多開業30周年記念「0系ひかり」

JR西日本のホームページによると、2005年3月10日で開業30周年を迎える山陽新幹線岡山〜博多間を記念して、初代の「0系」車両を使った「ひかり」の臨時列車が運転される。運転日、時刻等詳細は公表されていないが、3月〜4月となっていることからまとまった本数が運転されるものと予想される。乗客には懐かしい硬券きっぷをイメージした記念乗車証がもらえるほか、当時売られていた駅弁を再現し販売される。

 毎日がリバイバル運転と揶揄されるほど国鉄時代の古い車両を大事に使い続けているJR西日本であるが、最近ではかなりその数を減らしている。イベント列車で見るとJR東日本の方が積極的であり、貴重な489系ボンネット編成や181系気動車、キハ58系気動車、583系電車など多くの名車を保有しているJR西日本にはもっと積極的に楽しいイベントを願うところである。

posted by 城崎かすみ at 22:50| Comment(0) | TrackBack(0) | ニュース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年12月15日

さよなら宇都宮線115系

 JR東日本では、10月ダイヤ改正で宇都宮線から引退した115系電車のお別れイベントを2005年1月15日に実施する。

 同じタイプの電車に113系があったが、現在でも東海道本線、山陽本線、房総半島など各地で活躍している。国鉄時代の中距離電車の代表格とも言える車両である。JR西日本では、大幅なリニュアル改造をしているものもある。JR化されて久しいがよくぞ今まで頑張ってきたものだと感心する。国鉄時代の車両は出来がよかったのだろう。以前、新潟中越地震で走行中の新幹線が脱線したが、あれも国鉄時代のもので、頑丈なつくりが惨事を防いだとも言われている。

 115系電車は、通勤通学のラッシュ地獄などほろ苦い思い出をお持ちの方々も多いと思うが、その車両を使った「団体列車」が走るのである。タダでも乗りたくないという方も多いと思うが、鉄道ファンからすると「国鉄」の名車がまた消え去る寂しさから普段見向きもしなかったような車両でも急激に人気が高まるのである。多分、満員御礼になるのであろう。
posted by 城崎かすみ at 00:28| Comment(0) | TrackBack(0) | ニュース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年12月14日

特急 瀬 戸 (24系 93年3月)

 鉄道サウンド広場(本館)で公開中の、寝台特急「瀬戸」について。

 東京−高松間を結んでいた寝台特急「瀬戸」は、飛行機の最終発車後に始発駅を出て、終着駅には飛行機の始発便より早く到着できることから、ブルートレインの中でも比較的利用状況はよかった。98年7月からは、従来のブルートレインから、個室主体の電車特急「サンライズ瀬戸」へとグレードアップされた。

 当時は、JR西日本下関車両管理室の24系客車が使用され、「あさかぜ」と共通運用が組まれていた。機関車はJR東日本田端運転所のEF65が高松まで乗り入れていた。全区間交流電化区間を走行することから、電源車を連結せず、中間サロンカーにパンタグラフを設置しサービス電源の取り込みを行っていた。客車にパンタグラフという珍しい組み合わせであった。また、最後部のオハネフ25には荷物室改造した車両が組み込まれていた。

 車掌は、高松−児島間がJR四国高松車掌区、児島−東京間がJR西日本岡山車掌区の担当であった。
posted by 城崎かすみ at 00:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 特急列車 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年12月13日

かにカニエクスプレス

kani-kita

 毎週末(一部毎日)中心に運転されている臨時特急「かにカニ」シリーズであるが、ヘッドマークはその時々で異なる。特急「かにカニ北近畿」の場合、「臨時」幕で運転のこともある。また、通常の「北近畿」幕で運転のこともあり撮影される方は要注意である。12月5日の「かにカニきのさき」は通常の「きのさき」幕であったし、12日は「臨時」であった。

 先日JR東日本で運転されたリバイバル「白根」も一部区間で「臨時」幕だったとしていくつかのサイトで状況が報告されていた。写真は、04年2月7日尼崎駅停車中の「かにカニ北近畿1号」である。
posted by 城崎かすみ at 15:42| Comment(0) | TrackBack(0) | 特急列車 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ブルートレイン日本海 (24系 83年)

 寝台特急「日本海」は、大阪−青森・函館間をその名の通り日本海沿いに結ぶ夜行列車である。ブルートレインの衰退で、各系統1往復の設定が基本であるが、「日本海」は1〜4号まで2往復が設定されている。現在では、1・4号がJR西日本の車両を使用。2・3号はJR東日本の車両を使用している。車掌は、大阪−青森間がJR西日本大阪車掌区、青森−函館間がJR北海道札幌車掌所が担当している。

 かつて国鉄時代には、長崎県の早岐客貨車区に所属の14系15型客車が遠路はるばる青森まで運用されていた時期がある。1983(昭和59)年の編成は以下の通りである。2往復ともに青森運転所の担当で、「ゆうづる」などと共通運用であった。

昭和59年3月29日 第4002列車 特急日本海2号
カニ  24− 13 57-12高砂 盛アオ
オハネフ25− 41 58-09高砂 盛アオ
オハネ 25− 69 58-02高砂 盛アオ
オハネ 25− 75 58-12高砂 盛アオ
オハネ 25− 85 58-04高砂 盛アオ
オハネ 25− 79 57-12高砂 盛アオ
オハネフ25− 46 58-05高砂 盛アオ
オハネフ25− 43 58-09高砂 盛アオ
オハネ 25− 78 58-11高砂 盛アオ
オハネフ25− 38 58-03高砂 盛アオ
オハネ 25− 66 57-11高砂 盛アオ
オハネフ25− 32 59-03高砂 盛アオ

昭和59年3月29日 第4004列車 特急日本海4号
カニ  24−  4 57-04高砂 盛アオ
オハネフ25−218 57-08高砂 盛アオ
オハネ 25− 17 57-06高砂 盛アオ
オハネ 25−  5 58-04土崎 盛アオ
オハネ 25− 32 57-08高砂 盛アオ
オハネ 25−230 57-10高砂 盛アオ
オハネフ25− 13 58-04高砂 盛アオ
オハネフ25−221 57-12高砂 盛アオ
オハネ 25−239 57-10高砂 盛アオ
オハネ 25− 37 57-04土崎 盛アオ
オハネ 25−  6 58-04土崎 盛アオ
オハネフ25− 11 58-01土崎 盛アオ

翌年の昭和60年からは、1・4号が宮原客車区の担当となっている。当時「ゆうづる」や「日本海」で使用されていた客車の一部は「北斗星」や「あけぼの」などで活躍している。
posted by 城崎かすみ at 01:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 特急列車 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。