2005年01月30日

「ラバーズコンチェルト」CD発売(05年1月)

 特急「北近畿」「きのさき」「たんば」「はしだて」など福フチの183系特急電車の車内放送メロディーにも採用されている「ラバースコンチェルト」が全国的に注目を浴びている。
 
 別に「鉄道サウンド広場」(本館)での公開が引金となったわけでも何でもない。フジテレビ系「月9」ドラマ「不機嫌なジーン」(竹内結子主演)での挿入歌として使用されている為である。竹内結子さんは、JR西日本のCMにも出演されており何だか不思議な繋がりを感じてしまう。

 同曲はジャズ・ボーカルのサラ・ヴォーンが1965年に発売した同名アルバムに収録。バッハ作曲の「メヌエット」をアレンジしたメロディーである。大きな反響に応え、1月26日にユニバーサルミュージックより40年ぶりの初CD化(税込2,300円)された。
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2005年01月28日

特急紀伊・出雲2号(82年3月)

 鉄道サウンド広場(本館)で公開中の、特急「紀伊・出雲2号」について。

 今でこそ合理化によりブルートレインの併結運転は珍しくないが、その元祖ともいえる列車がこの列車であった。東京−名古屋間を併結で運転していた。「紀伊」には東京車掌区、「出雲」には米子車掌区の車掌がそれぞれ乗務していた。
 
 乗車したのは、3月31日であるが、3月15日未明だったであろうか、「紀伊」を名古屋から牽引するDD51の機関士が飲酒運転で、連結時にブレーキ操作を誤り客車に衝突している。機関車最寄の客車はかなり酷い状態になったが、数名のけが人で済んだのが意外である。

 後に、「紀伊」は廃止され、「出雲2・3号」の単独運転として長らく運転されてきた。車両はJR西日本の受け持ちとなり、高速バスの低価格に対抗した3段式B寝台のとくとくきっぷを発売したり、個室寝台の充実など改善が行われた。現在では、新型寝台電車「サンライズ出雲」の登場により、14系は引退し、「出雲1・4号」に使用していたJR東日本の24系25型を使用した「出雲」がスジを引き継いでいる。
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2005年01月26日

特急北越2号(489系 89年2月)

 鉄道サウンド広場(本館)で公開中の特急「北越2号」について。

 かつては大阪−新潟で運転されていたが、「雷鳥」に愛称統合され、金沢−新潟間の特急として存続している。録音当時、1往復には白山編成が使用されていた。

 白山編成には車内放送チャイムにご当地メロディーが採用された。

  金 沢:百万石音頭
  長 野:信濃の国
  東 京:東京音頭
  新 潟:佐渡おけさ
  その他:鉄道唱歌

 現在、能登編成のクハ489運転台にそのメロディーは存続しているが、「鉄道唱歌」の使用確率が高くなっている。グリーン車乗務員室のメロディーは交換されており、「美しき青きドナウ」が使用されている。
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2005年01月24日

特急しらさぎ4号(485系 86年2月)

 鉄道サウンド広場(本館)で公開中の、特急「しらさぎ」について。

 名古屋−金沢・富山間を485、489系で運転されていた同列車は、現在、「加越」と愛称統合され、名古屋−富山・和倉温泉、米原−金沢間を新型683系で運転されている。

 金沢始発の4号など、後に富山始発に延長された。同列車は、「加越」編成使用で金沢車掌区の担当であった。この当時は、車内放送で車掌が自己紹介を始めた頃で、放送も丁寧でレベルが高かった。「しらさぎ」は、金沢車掌区の他、富山車掌区、名古屋車掌区が通しで担当していたが、現在では米原でJR西日本とJR東海の車掌が交代している。
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2005年01月22日

特急雷鳥8号(485系 86年2月)

 鉄道サウンド広場(本館)で公開中の、特急「雷鳥8号」について。

 立山など中部山岳中心に生息する特別天然記念物「雷鳥」から命名された同列車は、北陸本線の主役として長年活躍してきた。大阪−新潟、富山、金沢、和倉温泉など様々な地域を結んでいた。愛称やそのルーツからも大阪−富山間が本家なのだろう。現在では大阪−金沢間の運転となってしまい、主役を「サンダーバード」に譲っている。2006年度には、特急「雷鳥」は「サンダーバード」化が予定されており、485系の定期運用は大幅に減少してしまう。

 特急「雷鳥」の担当車掌区の状況は以下の通りである。データは93年夏のものである(Sはスーパー雷鳥)。

大阪車掌区担当:S1、S3、S5、S7、S19、S45、S2、S6、S10、S38
        23、29、33、39、43、16、22、24、26、30、32

金沢車掌区担当:S9、S12、11、17、21、27、35、20、28、26、40、46

京都車掌区担当:15、25、41、14、34、42

富山車掌区  :S1、S4、S8、31、37、18

新潟車掌区  :13、44 +(白鳥 新潟−大阪間)

七尾鉄道部  :金沢−和倉温泉 S3、S5、S19、S6、S10、S38、28


 86年2月当時、公開中の8号は大阪車掌区、6号は明石車掌区、22号は敦賀車掌区が担当していた。
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2005年01月21日

急行銀河(20系 85年2月)

 鉄道サウンド広場(本館)で公開中の、急行「銀河」について。

 東京−大阪間に夜行列車として運転されている「銀河」は、新幹線の最終発車後に出発して、始発列車よりも先に到着することからビジネスマン中心に利用者は多い。とはいっても、低単価と居住性の改善などにより、夜行高速バスにかなりの乗客を奪われている。ゴロンとシートの導入など「銀河」にも価格競争に参戦してもらいところであるが、JRにはその気はない。閑散期には6両で、下段が辛うじて埋まり、上段は半数以上が空きといった状況も散見される。

 急行「銀河」には、1976(昭和51)年までは、座席車が連結されていたが、同2月に、20系寝台に置き換えられ、全車寝台となった。20系初の急行転用であった。しばらく20系での運転が続くが、1985(昭和60)年3月には14系化、86年11月には2段式24系25型に置き換えられた。

 国鉄末期には、583系化される案も浮かび、ヘッドマークも用意されたが実現しなかった。

 国鉄時代からJR化後しばらくは東京車掌区が担当していたが、大阪車掌区へと変更になった。大阪車掌区は、臨時の「銀河」を担当してきたが最近では夜行バスの台頭により運転されなくなっている。

 A寝台車掌室の車内放送チャイムは「ブラームスの子守唄」、B寝台の車内放送チャイムは「アルプスの牧場」(ディナーチャイム)であった。
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2005年01月20日

長野−飯田間に特急運転!?(05年1月)

 長野県は、飯田−長野間の特急列車を試験的に運行することを検討している。高速バスの試験増便も含め、担当部局が新年度当初予算で約2600万円を要求しており、2月定例県議会で可決されれば、JRやバス会社と本格的な調整に入る。

 県交通政策課によると、1日1往復で30日間の運行を計画している。結果に基づいてJRに特急の定期運行を要望していく模様である。

 車両は、JR東日本長野支社の189系あたりが適当なのかも知れないが、需要がどれほどあるか?「しなの」の間合い運用で、383系3連程度となるのか、「あずさ」の車両の間合い使用なのか気になるところである。JR東海の車両で実験なら、381系が登場する可能性もある。快速の愛称は「みずす」であるが、臨時特急は「南アルプス」あたりになるのだろうか?

 高速バスは、現在5社が長野−飯田間を9往復運行しているが、さらに増便も考えているようである。かつては、新宿からの直通急行「こまがね」も運転されていた飯田線北部に優等列車の定期運転復活があるのか見守っていきたい。

参考:YAHOO!ニュース(中日新聞1月19日)
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2005年01月18日

特急タンゴエクスプローラー3号(KTR0系 98年3月)

 鉄道サウンド広場(本館)に公開中の、特急「タンゴエクスプローラー」について。

 北近畿タンゴ鉄道宮津線沿線と県庁所在地京都を直通で結ぶ特急として、久美浜−京都間で運転されていた。京都−天橋立間電化開業後も、京都口唯一の気動車として存続していた。しかし、3両編成では輸送力が不足することから、99年10月ダイヤ改正でKTR8000系タンゴディスカバリーと車両が交換され、新大阪−久美浜間を福知山線経由で運転に変更された。

 運転開始当初は3両編成1本しかなく、検査入場などの際は米子からキハ181系3連が貸し出されていた。しかし、その後2次編成3両編成1本が登場し、年間通じ専用車両での運転となった。また、多客時には2本6両編成での運転が行われている。

 運転台には、ミュージックホーンも搭載され、通常の汽笛の他に「オーバーザレインボー」のメロディーが流れる。天橋立に因んでの選曲である。車内放送用オルゴールにもKTR013(2次編成の京都方運転台)に「オーバーザレインボー」が、その他の車両には気動車標準タイプの「アルプスの牧場」が搭載されていた。
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2005年01月17日

特急北斗星4号乗用車と接触事故(05年1月)

 16日、23時10分頃、北海道JR函館線駒ケ岳駅近くの踏切で、乗用車と札幌発上野行特急「北斗星4号」が衝突した。

 YAHOO!ニュースによると、北斗星4号の乗客は約50名とのことである。九州ブルートレインの衰退が注目されているが、人気の寝台特急「北斗星」でもオフシーズンではこの程度の乗車である。

 事故のニュースが報道される際に、該当列車の乗車人員が公表される。過去、九州ブルートレインの乗車人員を見てみると、50〜100名程度が多かった。
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急行利尻(14系 86年8月)

 鉄道サウンド広場(本館)で公開中の、急行「利尻」について。

 急行利尻は、札幌−稚内間の夜行急行として運転されていた。旭川までは通勤客などの乗車もあり車内は混みあう。当日は3名の車掌が乗務していた。現在では考えられない。札幌を出てすぐの苗穂では、荷物車連結の為9分間運転停車を行っていた。

 現在では気動車特急となっているが、当時は14系座席+寝台車の客車編成であった。車両運用の効率化を図るため、稚内到着後は、昼間の急行「宗谷」として寝台車も座席車として使用して札幌へ戻っていた。また、昼間の急行「天北」も同様の編成で、稚内到着後、寝台をセットし、夜行急行「利尻」として札幌へ戻っていた。

 札幌を中心に、網走、釧路、函館方面へは札幌車掌区の乗務が見られたが、宗谷本線への優等列車は全て旭川車掌区の担当であった。
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2005年01月16日

急行紋別・はぼろ(56系 86年8月)

 鉄道サウンド広場(本館)で公開中の、急行「紋別・はぼろ」号について。

 急行「紋別」は、札幌−遠軽間を結ぶ列車であった。名寄から名寄本線を経由し、オホーツク沿岸地域を結んでいた。一方、急行「はぼろ」は、札幌−幌延間を結ぶ列車であった。深川から留萌を経由し日本海沿岸地域を結ぶ幌延線を走行していた。

 86年8月当時は、札幌発車時点でこの2本の他、滝川から普通列車となる富良野行2両を併結した7両編成であった。しかし、かつては、急行「大雪2・3号」とも併結し、グリーン車1両を含む13両編成で札幌を発着していた。

 現在、羽幌線、名寄本線はいずれも廃止されているが、かつての北海道ではローカル線への急行列車の乗り入れも多く見られた。
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2005年01月15日

ガス欠で列車立ち往生(北上線 05年1月)

 13日、岩手県内のJR北上線ゆだ高原−ほっとゆだ間で、横手発北上行普通列車が突然停車し、自力走行できなくなった。1両編成のディーゼルカーで、給油忘れによる燃料切れが原因であった。

 車内には乗客10名がいたが、救援列車が来るまでの約2時間20分、暖房の効かなくなった車内で缶詰め状態となった。大雪でダイヤが乱れたため、車両運用が急遽変更になっており、横手運輸区での給油を係員が忘れていた模様である。

 JR東日本盛岡支社は、「聞いたことがない失態で、大変ご迷惑をお掛けした。再発防止策を徹底する」とコメントしているが、同支社では、90年にも急行陸中号がガス欠で立ち往生している。

 運転士は事前にメーターで確認は出来なかったのだろうか?何とか横手まで燃料が持つと判断したのだろうか?

 電車にはガス欠はないが、架線事故による停電が起こりうる。以前も、宇都宮線や高崎線などで発生している。冬季の旅行では万一に備えて使い捨てカイロや飲物は必携かも知れない。
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2005年01月14日

特急おおぞら3号(80系 86年8月)

 鉄道サウンド広場(本館)で公開中の、特急「おおぞら3号」について。

 現在では、振り子式新型特急気動車が主流となっているJR北海道であるが、国鉄末期は183系気動車が主役で、一部列車に80系気動車がまだ活躍していた。
 
 その80系が使用されていたのが、函館−札幌(小樽経由)間の特急「北海1、4号」、函館−網走間の特急「おおとり」、札幌−網走間の特急「オホーツク2、7号」、札幌−帯広間の特急「おおぞら3、8号」であった。函館運転所の所属であり、向日町からの転属組なども活躍していた。

 「おおぞら3号」は、札幌始発であるが、「北海1号」で札幌に到着した編成がそのまま同駅で点検・整備の後、帯広まで運転されていた。折り返し「おおぞら8号」となり札幌到着後、「北海4号」で函館に戻っていた。函館発帯広行のような感じである。

 「北海」「おおぞら」編成に食堂車は組み込まれておらず、車内放送時のオルゴールは「ブラームスの子守唄」が多かった。一方、「おおとり」「オホーツク」編成には食堂車が連結されており、車内放送時のオルゴールは「乙女の祈り」や「鉄道唱歌」が流れることもあった。
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2005年01月13日

特急スーパーひたち(651系 89年3月)

 鉄道サウンド広場(本館)で公開中の、特急「スーパーひたち」について。

 1989年3月11日のダイヤ改正で誕生した同列車は、JR東日本が新製した651系で登場した。国鉄型特急が主流だった当時は斬新なデザインであった。それだけに、上野駅発車直後に流れた昔のままの「鉄道唱歌」のオルゴールは意表をつかれた感じがした。485系ボンネット「ひたち」の末期は、電子オルゴールであったことから、98年頃から651系でも電子オルゴールの使用が始まったと思われる。いわゆる「ひたちメロディー」と「4打音」中心に使用されている。オルゴールの「鉄道唱歌」と「ビューチャイム」には「使用禁止」のテプラが貼られている。

 前日の3月10日は、急行「みささ・みまさか」のラストランに乗車し、大垣夜行で上京しての「スーパーひたち」初列車への乗車であった。上野駅でのセレモニーでは、3月11日にちなみ、3号車11番の乗客に花束贈呈が行われた。私は3号車7番A席だったが、花束をもらっても旅行中は困るものだ。長野新幹線開業時に花束を頂いたが、妙高高原で下車した際、キヨスクのおばちゃんにプレゼントして缶コーヒーを頂いた。

 「ひたち」系統は、水戸車掌区、平車掌区(現いわき運輸区)、原ノ町運輸区、仙台車掌区、上野車掌区と多くの車掌区が担当していた。
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2005年01月12日

但馬の旅(出石編 05年1月)

出石  出石そば
 柴山駅12時03分発気動車2両編成のワンマンカーに乗り込む。鉄道サウンド広場(資料館)に約20年前の写真があるが、当時は多くの特急・急行が行き交っていた。道路事情も良くなかった為、かにカニツアー客の鉄道利用も多く、駅は賑わっていた。今ではすっかりローカル線の駅となってしまった。駅前の立派な旅館が不似合いである。

 城崎で福知山行普通電車に乗り換えるが、やはり2両編成のワンマンカーである。大阪からの「はまかぜ1号」が到着し、京都行「きのさき6号」が先発する。次の玄武洞では新大阪からの「北近畿5号」待ち合わせなど単線区間の宿命でなかなか先へ進めない。

 豊岡駅13時35分発出石行の全但バスに乗車する。途中大回りをする為、若干時間がかかる。薄日がさしたかと思うと、雨が降ったりと不安定な天候である。昨年の台風23号で大きな被害が出た地域でもある。

 出石バスターミナルから、出石城跡へ向う。肌寒く、天候も冴えないことから、早速近くの店で名物出石そばを注文する。昔、信州上田の殿様が国替えでこの地へやって来た際、そば職人を連れてきたのが始まりだそうである。出石焼きの小皿に盛られたそばが5枚で一人前である。追加は1枚単位ででき、20枚食べたら「そば通の証」なる記念品が頂けるようだったが、無理は禁物。適量をおいしく頂くのが一番である。手打ちそばづくりの体験も可能な店もある。

 その後、古い町並みを散策するが、この寒さは如何ともし難い。街角の茶店兼土産物店のおにいさんのおすすめで、またもや暖をとる。名物「栃もち」のぜんざいをオーダーする。店内には著名人の色紙で一杯である。「へー!あの人も来たんだー」などとおしゃべりしているうちにバスの出発時間が迫る。湯村温泉同様、鉄道でのアクセスは乗換えなどハンディーがあるが、地味でいい観光地であった。雪がうっすら積もっていれば水墨画のような風情になっていたであろう。

 

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2005年01月10日

但馬の旅(かにカニ合戦編 05年1月)

柴山駅
 かにの宿「大野屋」にチェックインし、暫しくつろぐ。湯村温泉でのスイミングのお蔭でお腹もペコペコである。風呂は後まわしである。合戦開始の合図により、食堂へ出向く。今晩の対戦相手との対面である。

 「柴山がに」と呼ばれる大型の松葉ガニがテーブル中央に鎮座している。まずは、生で食する。プルンとした半透明の太い身をしょうゆに少し浸し、贅沢にもひとかぶりする。甘くてとろける様な食感がたまらない。かにカニ合戦中は皆無口になるとよく言われる。二人とも最初は「うまい!」の絶叫が続いていたが、その内黙々と格闘していた。しゃぶしゃぶに続き、今度はUFOのような器が登場する。蓋を開けると、ボワっと湯気が立ち上がり、香ばしい香りと共に焼きガニが姿を現す。そのままでも十分うまいが、特製ポン酢にゆずを搾り少し付けると格段にうまい。この段階でかなりお腹も膨れてきた。

 第4回戦は、かに鍋である。とうふや野菜も一緒に食べる。「よっしゃ、今日はこれくらいにしといたろ〜!」と思いきや、締めくくりは雑炊である。かにのいいスープで作った雑炊は絶品で別腹にしっかりと納まった。

 合戦も無事終了しお茶をしていると、デザートのメロンが登場。丁度食べごろのマスクメロンは食べ放題で、2人で1個まるごと食べてしまった。

 部屋に戻り、少し会話を楽しんだとは思うが以後の記憶がない。

 翌朝は、大きな器に松葉カニの雌が半身まるごと入った贅沢な味噌汁や焼きカレイ、焼きえび、イカの刺身など贅沢な朝食を頂く。朝から、よくお腹に入るものだ。

 食後は、大野屋のラドン温泉に入る。浴槽には、ゆずが数十個浮かんでいる。いい香りが風呂中に漂う。天然の芳香剤と入浴剤である。湯上りに、デザートのアイスクリームを食べる、大山乳業製の濃いバニラがうまい!のんびりし過ぎ、チェックアウト時間が遅くなってしまった。12時03分発、城崎行ワンマン列車で次の目的地出石を目指す。


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2005年01月09日

但馬の旅(夢千代編2 05年1月)

夢千代 荒湯 手形
 「リフレッシュパークゆむら」を後にし、国道9号線を横切り、立派な温泉旅館脇の小道を下る。木陰には雪が残り、お互いふざけて雪合戦。ドラマに出てきそうな石段をおりる。道端には古風な土産物店やスナックが軒を連ねる。坂を降りきると、公衆浴場や土産物店がならぶ賑やかな通りに出た。城崎とは違い、何となく鄙びた温泉街といった風情である。ドンよりとした天候や閑散とした静けさが余計にそう感じさせる。

 土産物店の軒先に番犬ならぬ銅像の番牛(実物大)が横になっている。但馬牛のふるさとでもある。98度の熱湯が湧き出る「荒湯」はすぐそばである。土産物店でネットに入った生卵3個入り(150円食塩付)を買う。荒湯で温泉たまごを作る。数分間熱湯に浸している間、夢千代像や各種手形のレリーフを鑑賞する。夢千代役の吉永小百合さんや著名人の手形が多数ある。たまごは、適度に殻を割り、半熟状態で塩をかけ、ずるっつと飲み込むように食べる。スイミング後の為、この塩が何とも旨い!

 16時35分発、全但バスで浜坂駅へ向う。約25分間で浜坂へ到着。都会では夕方の帰宅ラッシュ時間帯であるが、キヨスクは閉店、1名しかいない駅員も業務用荷物受け取りの為窓口を離れており、しばらく待機する。2番線には豊岡行、3番線には鳥取行の2両編成のワンマンカーがそれぞれ乗客を待つ。駅員が戻り改札を受けて列車に乗り込む。先頭車には、「かにカニエクスプレス」のヘッドマークが付いている。

 辛うじて車窓が見えるか見えないかといった暗闇の中を余部鉄橋を渡る。沖合いには漁火が見える。2人でここを渡るのは昨年8月以来である。

 無事に渡り終え、今晩の宿泊地「柴山駅」に降り立った。かにの本場である。さあ!今晩は「大野屋」で、かにカニ合戦だ〜!
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2005年01月08日

但馬の旅(夢千代編1 05年1月)

全但バス 滝風呂 酒樽
 世間一般では正月休みも終わり、仕事も本格スタートとなったであろう1月6日午前9時50分。私達は、大阪の阪急三番街バスターミナルにいた。

 いつもは、鉄道の旅が主体であるが、今回は趣向を変えてバスに乗ってみる。行先は、兵庫県北部の湯村温泉である。NHKドラマ「夢千代日記」の舞台となった所である。峠をもう一つ越えると鳥取県という位置にある。同じ兵庫県北部の温泉でも城崎温泉とはアクセス面でのハンディーキャップがある。大阪・神戸からは直通のバスがあるが、鉄道の場合、山陰本線八鹿駅、鳥取駅からバスで約60分。浜坂駅からはバスで約25分である。

 大阪10時ジャスト。定時に発車した全但バス「夢千代号」は、新大阪、桃山台、宝塚インター、西宮北インターで乗客を集め、中国自動車道福崎インターより播但自動車道、国道9号線を経て湯村温泉まで3時間35分の道のりである。当日は約20名の乗客である。社SA、あさごSAでトイレ休憩が各約10分程度設定されている。鉄道だと、大阪10時12分発の特急「北近畿5号」で八鹿乗り換えで、急行バスの湯村温泉到着は13時35分と大阪からの直通バスと同じである。実際、村岡町手前から続行運転となっていた。オープンループの急坂で一気に峠道の高度を稼ぐ。近くにはハチ・ハチ北などのスキー場もあり、積雪も見られる。長いトンネルをいくつも抜けるといよいよその名も「温泉町」である。
 13時35分、定時に湯村温泉バスターミナルに到着。ホテルのお迎えなどが待機している。私達は、徒歩3〜4分の「リフレッシュパークゆむら」へ向うが、他に同行する者はなかった。

 ここは、温泉テーマパークのような場所で、天然温泉の健康風呂の他、各種混浴露天風呂や、温水プールなどがある。入館料1100円とバスタオル、水着のレンタル各300円を支払い早速着替える。正月明けの平日でよく空いている。酒樽風呂、洞窟風呂、滝つぼ風呂、サウナなどほとんど貸切状態で楽しむことができた。贅沢なひと時である。森林に囲まれた大露天風呂を堪能した後は、温水プールで泳ぐ。室温31度、水温30度に設定されており、久々に本格的なスイミングも楽しんだ。翌朝筋肉痛かな?
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2005年01月06日

急行大雪(14系 88年10月)

 鉄道サウンド広場(本館)に公開中の、急行「大雪」について。

 北海道では、札幌から本州方面行の寝台特急以外に、稚内、網走、釧路、青森への夜行列車が運転されている。かつては、客車急行が主体であったが合理化の為、稚内行、釧路行、網走行がそれぞれ特急格上げの上、183系気動車特急に寝台車を組み込んだ編成で運転されている。現在「オホーツク9号、10号」として運転されている夜行列車が、かつての夜行急行「大雪」である。
 
 14系客車に寝台車を連結した編成で、札幌を発車するとすぐに苗穂に運転停車をし、荷物車を連結していた。長らく客車で運転されていた背景には朝刊輸送などの使命があったからである。小樽回りの、函館行の夜行鈍行もあったが、新聞輸送の他に本州方面への荷物・郵便車も連結していたため、旅客車はおまけのような存在であった。その証拠に列車番号は荷物列車の番号を使用していた。

 当時は、「利尻」が旭川車掌区、「まりも」「大雪」は札幌車掌区の担当であった。後に、「まりも」は釧路車掌所、「大雪」は旭川車掌所へ振り替えられた。「函館夜行」は、札幌−小樽間が札幌車掌区、小樽−函館間が函館車掌区の担当であった。函館夜行は後に「ミッドナイト」となったが、全区間札幌車掌区が担当していた。

 ところで、14系寝台車を気動車に組み込んでいるが、寝台車の乗務員室の放送装置は気動車用マイクに交換されている。したがって、「ハイケンスのセレナーデ」のチャイムは流れない。寝台車に、「アルプスの牧場」のオルゴールは馴染まない。
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2005年01月05日

池北線(JR北海道)(40系 88年10月)

 鉄道サウンド広場(本館)に公開中の、JR池北線について。

 池北線は、北海道の北見と池田を結ぶ140キロの長大ローカル線である。国鉄からJRへと引き継がれたが、1989年6月4日に第三セクターの「北海道ちほく高原鉄道」へと転換された。

 イメージ戦略や様々な営業努力がなされ、今日まで営業を続けているが、利用者の減少に歯止めがかからず、徹底した合理化をもっても維持が困難になっている。北海道としては廃止したい意向を地元に伝えている。今後の動向に注目である。

 公開中のサウンドはJR時代であるが、当時は北見車掌区の車掌が乗務していた。国鉄時代に乗車した時は、池田車掌区の車掌さんだった。現在ではいずれも存在しない。

 この沿線は、歌手の松山千春さんや元衆議院議員の鈴木宗男さんのふるさとでもある。別名「ふるさと銀河線」という愛称が付き、漫画家の松本零士氏作の「銀河鉄道999」のイラストが描かれた車両も走っている。さぞかし夜空が綺麗なのだろう。
posted by 城崎かすみ at 01:42| Comment(0) | TrackBack(0) | 快速・普通列車 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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